因州和紙の歴史は古くその起源は特定されていませんが、少なくともおよそ千三百年以前から、紙漉きに適したこの土地で和紙が作られていたことは間違いありません。
学術調査報告書『正倉院の和紙』(1970年)の中では、『因幡国屯倉計帳断簡(いなばのくにみやけけいちょうだんかん)』(721年)を現存する最古の因州和紙として紹介しています。
続いて『因幡の国司蝶(いなばのこくしのちょう)』(765年)には、「楮(こうぞ)の溜め漉き」であると記述。
さらに、平安時代の法令集『延喜式』(967年)には「因幡国から朝廷へと献上された」という記録が確かに残されています。
慶長の頃(1596年〜1615年)時の領主・亀井滋矩の御朱印貿易により海外へも輸出されました。
江戸時代になると、鳥取藩に上納する藩御用用紙となって繁栄。『紙漉き唄』の歌詞にある「蝶の御紋」とは、時の藩主・池田候の揚羽蝶の家紋を指しています。
そして、1975年(昭和50年)1月、全国の和紙産地に先駆けて『国の伝統的工芸品』に指定。翌年8月には『因州佐治みつまた紙』ならびに『因州青谷こうぞ紙』が鳥取県無形文化財に指定されました。
近年は、首相官邸の壁紙に使用されたこと、浅草・浅草寺の雷門の大提灯に張られたことが話題となっています。
鉄部分にかご(原料となる木の皮)をはさみ引き抜いておに皮(黒い外皮)を削りとります。
* あおや和紙工房所蔵
紙床(積まれた湿紙)の水分を圧搾するのに使います。現在ではほとんどが油圧ジャッキに取り変わっています。
* あおや和紙工房所蔵
現在では手作りできる人もわずかとなっていますが、昔は各家で作るほか「村の名人」に作ってもらうこともあ
ったようです。稲わら製。
* あおや和紙工房所蔵
「この紙は確かにいいや。書き心地のよいこと、今まで使ったことがない。他の紙で一枚書くうち、この紙なら二枚も書ける。
おまけに不思議なことは、その割合に筆がちっとも切れぬ。そうして早く運ぶから墨も減らない。」「それは確かに、筆切れずの紙だ。」
このくだりは、大正時代、三椏紙の名声を広めるために奔走した、佐治の田中兵十郎の評伝からの引用。
「いくら書いても筆先が傷まず、墨のかすれがなく長く書ける。」
この二つの意味から名付けられた『筆きれず。』高品質の書簡用紙の名称です。
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